特集
豊かな食材とハイレベルな料理が魅力の小倉へ

小倉

2019年8月19日

豊かな食材とハイレベルな料理が魅力の小倉へ
明治から大正、昭和と日本の近代化に大きく貢献した北九州。
往時は門司、小倉、若松、八幡、戸畑という5つの独立した市が存在したが、1963年に合併し、福岡市に先駆けて九州初の政令指定都市となった巨大都市である。
その中心である小倉は1975年の山陽新幹線全通でより身近な九州の玄関口に。
漁場に恵まれた土地ゆえの魚介のみならず、日本でも有数の大都市ゆえさまざまなスタイルの飲食店が軒を連ね、しかもレベルが高いハズレのない街。
都市の洗練と産地の近さゆえ培われた料理の数々を堪能したい。
編集 松尾 大(ぐるなび)

小倉の寿司文化を担ってきた、街の宝というべき一軒『寿司 もり田』

小倉の寿司文化を担ってきた、街の宝というべき一軒

江戸前のそれとは異なる、独自の形で発展を遂げてきた小倉の寿司。さまざまな海域の魚介が集まり、その品質の高さで知られるこの地の中でも、長年愛されてきた寿司店がこの『寿司 もり田』である。ご主人の森田順夫(のぶお)さんは、昭和10年の生まれというから、現在84歳。現在も板場の前で長男の徹さんと二人並び現役で寿司を握り続けている。

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素材と料理にうるさい地元のグルメを唸らせる創作懐石『創作懐石 やす多゛』

素材と料理にうるさい地元のグルメを唸らせる創作懐石

小倉駅から東へ。門司方面に向かって、クルマで約5分。平成初期までは路面電車・西鉄北九州線の砂津電停や砂津車庫があり、小倉における交通の要衝の役割も果たしていた街にひっそりとたたずむ『創作懐石やす多゛』。暖簾をくぐり店内に入ると広々とした空間で、廊下の左右に配置された個室の前を通り白木の立派なカウンター席に腰を据える。

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精肉店直営ならではの新鮮&希少部位の焼鳥を『焼鳥WORLD』

精肉店直営ならではの新鮮&希少部位の焼鳥を

北九州モノレールで小倉駅から4駅目の香春口三萩野(かわらぐちみはぎの)駅からほど近い場所にある、黄金市場。昭和の初めにはこの近くに市場が形成され、昭和30年代頃までは小倉でもっとも賑わっていたという。その後、小倉駅周辺の整備やスーパーマーケットの進出などで一時期は客足も遠のき、店の数も減少したが、現在は約90店舗が営業。鮮魚店や青果店、昔ながらの味噌屋に惣菜屋、シブい飲食店など多くの店舗が立ち並び、賑わいを見せている地元密着型の市場だ。

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他にはない“正しい”鰻の仕入れと焼きを追求する名店『田舎庵 小倉本店』

他にはない“正しい”鰻の仕入れと焼きを追求する名店

創業からおよそ100年。全国にその名がとどろく鰻の名店がこの『田舎庵小倉本店』だ。近年、稚魚の乱獲や違法な取引などで絶滅を危惧されている鰻であるが、一番の問題はどこで誰が獲った稚魚をどこでどのように育てたのかというトレーサビリティにある。4代目で代表取締役社長である緒方大さんによると、良い鰻は日本全体の数%程度で、それらの情報を常にキャッチアップするため、時間があれば日本全国の生産者の元を訪れている。現在、市場に出回る鰻はその多くが、ボイラーで温められたハウスで稚魚を入れてから半年程度で育てている。脂が乗っていないためエサの魚粉と魚油で補うから、鰻の味も香りもしない。田舎庵が選ぶ鰻は、最低でも1年半以上、多くが2~3年かけて、露地池で密度の低い環境で育てられたもの。そもそもの鰻からして違うというわけだ。

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自由な使い方が楽しめる、小倉の実力派フレンチ『ブラッスリー ジャン・ピエール』

自由な使い方が楽しめる、小倉の実力派フレンチ

小倉の中心にある有名な飲食ビル、美松コアの2階奥にひっそりとたたずむ、隠れ家的フレンチがある。オーナーシェフの山﨑真吾さんは、高校卒業後、リーガロイヤルホテル小倉を経て上京。『ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション恵比寿』、銀座にあった『ル・シズィエム・サンス・ドゥ・オエノン』で修業ののち、27歳の若さで小倉に戻り自らの店『ブラッスリー ジャン・ピエール』を開いた。ジャン・ピエールという名の由来は、『ル・シズィエム・サンス・ドゥ・オエノン』でガストロノミー・プロデューサーを務めていたドミニク・コルビシェフに付けられたニックネーム。

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