それはもちろん、食文化においても形は変われど、奈良に起源をもつものは少なくない。
野菜の栽培法から酒造り、そして近年話題のかき氷まで。
京都に比べ派手さこそないが、その魅力に気付いた人々が国内外からやってくるこの街の食の現在進行形を探る。
奈良屈指のフレンチはかき氷の名店でもある『ビストロ ル・クレール』
近年、奈良はかき氷の聖地として知られ、毎年夏には全国各地からかき氷好きが集まる街となっているのはご存知だろうか? 奈良国立博物館からほど近い春日野町にある氷室神社は、和銅3(710)年に鎮祀され、平城京に氷を納めてきた由緒正しい神社。毎年5月には献氷祭が行われ、全国から製氷・販売業者が参詣する、いわば日本の氷の聖地といった存在。
和食の真髄は引き算にあると再認識させられる、ならまちの割烹『割烹まつ㐂』
「素材の良さを生かす」。よく見聞きする言葉ではあるが、よく考えてみればわかる通り、料理をするなら素材を生かすなど、至極当然のことである。ただ、素材そのもののポテンシャルを引き出す料理もあれば、素材と素材を掛け合わせることで、単体では出てこない新たな味を作り上げる料理というものに大別できるのではないか。前者は日本料理、後者はフランス料理というのが、これまでの共通認識と言って差し支えないだろう。
「まほろばの里」でいただく大和伝統野菜の滋味『清澄の里 粟 』
『古事記』に記される「大和は国の真秀ろば…」という歌は倭建命(日本武尊=ヤマトタケルノミコト)が今際の際に故郷である大和を懐かしみ、詠んだものだと言われる。「真」「秀」という文字からも窺えるように、「真秀ろば(まほろば)」とは、「素晴らしい場所」「理想郷」を意味するもので、重なり合った山々など、その風景の美しさを褒めたたえている。その当時を想起させる昔ながらの田園風景が残る奈良市高樋町界隈は万葉の歌人たちから「清澄の里」と呼ばれた。室町末期に澄み酒(清酒)の醸造法を確立した正暦寺にもほど近い水質に恵まれた土地でもある。
奈良を料理で再現する求道者による懐石『白 Tsukumo』
元来「白」という字に「つくも」という読みはない。こう名付けた由来は、「百」という字から「一」を引いた「白」ということから。引いた数が九十九。ゆえに「つくも」と読んだ。そして、この店名には様々な想いが込められている。
香りと旨みが際立つ、至極の蕎麦の味わい『百夜月』
和歌山と三重、奈良の県境に「百夜月(ももよづき)」という美しい地名がある。現在は熊野市紀和町花井に属するこの地。北山川沿いにあってクルマではたどり着けず、徒歩では山道を遠回りせねばならず、小舟で渡るしかないような陸の孤島のような集落だ。その昔、この地に光月山紅梅寺という寺があり、そこに住み込んでいた若く美しい尼僧に会おうとした若者が人目に付きにくい夜に川を渡ろうとした。ところが、月明かりがまぶしく、その後も99回決行したが、毎度引き返すことになった。そのことを母親に打ち明けたら、若者が悪さをしないように月明かりが照らすのだと教え、100回通ってもダメだと諭したことからこの地が百夜月と呼ばれるようになったという。