「京の持ち味、浪速の食い味」という言葉がある。京都が食材の味を引き立てる淡味とするなら、大阪は食材の持ち味を生かした淡味の中にも、昆布や他の食材を用いることで、まったりとした深味を持たせた味わいに仕上げることを意味する。京都に都が移った後、比較して呼ばれ出したという。そんな「浪速の食い味」を心ゆくまで堪能できる大阪を代表する割烹がある。打ち水も清々しい、法善寺横丁に店を構える『浪速割烹 㐂川』である。
初代・上野修三さんが1965年に創業。「浪速割烹」の看板を掲げ、 “始末の精神”を心意気に、洋風の素材や技を巧みに取り入れ、なにわの伝統野菜の発掘などにも取り組んできた。二代目・上野修さんは、「食材ひとつを始めから終わりまで大切に使い尽くし、“始末”すること。それが大阪割烹の真髄です」と話す。また、「かつてミナミの旦那衆は健啖家が多く、彼らを唸らせる料理をと心がけていました。スズキの造りにと捌いていても、『頭は焼いてくれ』などお客様から言われたりして。そんな“掛け合い”から料理が生まれていきましたね」とも。食べ手の味覚に合わせて素材を調味していくのも「食い味」ならではの柔軟さだ。
上野修さんは、小学校の作文に「将来は料理人になる」と書いていたという。中学生では「嫌やな」と思う時期も正直あったが、「父の背中を見ていたので、他には見つけられなかった」と料理の道へ。19歳で入店するが、より見聞を深めるために志摩観光ホテルのフレンチ『ラ・メール』に就職。フランス料理界の寵児と言われる高橋忠之総料理長のもとで5年修業を重ねた。その後、二代目として1994年に『㐂川』を継ぐことに。「だしは基本ですが何でも鰹と昆布のだしでというわけではなく、父から受け継いだ守るべきものは守りつつ、フレンチのエスプリをお借りして」と、創意溢れる独自の料理を編み出している。