アディダス広島店を1階に構える「本通ヒルズ」。その裏手のビルをエレベーターで5階に上がる。市街中心部にありながらも、ひっそりと営業しているので、知る人ぞ知る店という佇まい。入口で迎えてくれる猪の造形マスコットは、地元の芸大生からの贈り物というのも微笑ましい。
靴を脱いで入る店内は、木の質感が旅で歩き疲れた足裏にホッと優しい。座布団に腰を下ろすと、なんだか自分の家のようにリラックスできる。
店名に「猪鮎山菜料理」とあるように、メニューには本当に猪と鮎と山菜しかない(鮎は夏季のみ)。あとは運が良ければ、季節に沿って入荷した天然の山の幸がいくつか。コンビニエンスな現代の「何でもある」の対極をいくストイックさに「ああ、昔はこうだったよなあ」と懐かしくなる。
お店を仕切る女将、小西京子さんはご両親が始めた当店を継いで二代目。今でこそベテランの域だが、初めてお店に立った時は20歳。猪と山菜だけしかないという事は、食材の目利きが命である。聞けば様々な苦労があったそうだが、全て努力で乗り越えて来られた。
猪は解体現場にも立ち会って肉質をチェックし上物だけを厳選、山菜の時期は毎週のように山に入って収穫をする。今では店休日の翌日には「女将が何か新しい食材を仕入れてきただろう」と常連客が期待して暖簾をくぐるそうだ。
苦労を知っている人は他人にも優しく出来ると言うが、女将さんの気遣いと人情味のある接客に心が和み、わざわざ広島まで旅してきた甲斐があったと思える。
いきなり鍋にいっても良いのだが、まずは焼肉(陶板焼き)で素材そのものの味を楽しみたい。肉質に自信があるので、タレは添えない。塩胡椒のみの味付けだ。野菜ももちろんすべて国産品にこだわり、あれば広島産をなるべく使っている。
この日はメスの肋(ばら)肉。長年かけて猪の脂を吸い続けてきた陶板の上、肉は油をひかなくとも自身から染み出る脂で綺麗に焼けていく。香ばしい頃合いを頬張り、噛み締めると、ジュワッ!
もしあなたが猪に「臭い、硬い」というイメージを持たれているなら、柔らかくジューシーな滋味に、先入観を覆されるだろう。
猪がメインの当店だが、広島県山県郡の松尾きじ園で自然飼育された雉を使った「きじ焼肉」(写真は1人前2,160円税込)も人気だ。上質の地鶏を更に上回るような力強い味はジビエならでは。
ほか、地元猟師によると広島の鹿は3月がうまいらしく、時期には運が良ければ広島鹿もメニューに載る。食べ方は色々あるが、小西さんは「鹿はフライにすると美味しいですよ」とのこと。食べたくて、もう唾が出てくる。ごくり。
山菜好きにはたまらないだろう。上側のツクシから時計回りに、カブ酢の物、こごみゴマ和え、ふきのとう味噌、イタドリの油炒め、香茸の醤油煮、こしあぶら味噌和え、山ウドの煮物、中心がゼンマイの油炒めだ。
佃煮のような保存食にしてあるのかと思ったら、口に運んで驚いた。シャキシャキとした新鮮な歯応えに、それぞれの山菜の香りが活きた、素材を楽しめる薄い味付け!
聞いてみると、1日中の山歩きでどれだけ疲れていても、必ず採ったその日の内に山菜の下処理を施すそうだ。サッとゆがく、アクを抜くなど、最低限の下処理だけをして真空パックし、専用冷凍庫で品質が劣化しないように保管する。なるほど、それで冬でもこれだけフレッシュで香り高い山菜を楽しめるのか。
広島弁で「ちゃんとしごう(仕事)するのが大事なんよ、やり方も全部お母さんから受け継いどるけんね」と小西さんの山菜料理には広島郷土の味が彷彿させられた。
4月からの山菜全盛期には、摘み立ての天然山菜を、天ぷらやお浸しなどで思う存分楽しむことが出来るので、読者の皆様には大いに期待していただきたい。春の息吹が待ち遠しくて堪らない!