異国情緒漂う神戸の中でも、喧騒を少し離れた場所に『玄斎』はあります。
このアプローチが素敵。クリスマスにこんな隠れ家のような和食……いいでしょ?
カウンターの向こうではご主人の上野直哉さんが作務衣姿で火の前に立たれていました。
日本人の食生活を変えた大作家にちなんで
それにしても。どうして『玄斎』という店名なのか、ずっと疑問だったことをまず伺ってみました。
「明治時代に活躍した元報知新聞の記者で作家の村井弦斎という人の名前から取ったんです。『食道楽(くいどうらく)』という本を書かれ、当時から食育などにも関心を持つ偉大な作家でした。その本が、僕がずっと小さな頃から親父の書斎の本棚にあったんです」
その親父さんとは、浪速料理の礎を築き、浪速割烹の代名詞でもある『㐂川(きがわ)』の創業者である上野修三さん。私も大ファンであり、何度も取材をさせていただいた日本料理界の雄です。
でも偉大なる料理人、その父の次男として生まれた上野さんが店名になぜ『㐂川』という名を冠さなかったのか。上野修三さんに師事したお弟子さんたちは暖簾分けしてもらったら、必ず『㐂川◯◯』という店名をつけられていたからです。
「はい。でもうちは暖簾分けでも浪速割烹でもない。店も神戸にありますしね。 村井弦斎さんの『食道楽』は親父の愛読書でいつも夜遅く仕事から帰ってきても、よくこの本を開いていました。だから店名に『㐂川』はないけれど、親父にちなんだ名前をつけたかったんです」
そう語る上野さんは18歳で京都の名店『菊乃井』の村田吉弘氏に師事し研鑽を積まれ、いまでは「神戸に玄斎あり!」という、独自の世界観で食通たちを引きつけてやみません。