そばといえばどちらかというと東日本で食べられるものをいうのがステロタイプなイメージではあるが、この地においては事情が違う。もともと古来より出雲地方ではそば栽培が盛んだった。さらに、1638(寛永15)年にそれまで信濃松本藩主であった松平直政が、出雲国松江藩初代藩主として加増移封。その時にそば切りが伝わったとされているから、そば切り文化は江戸にも引けを取らないくらい長い。
また、7代松平治郷(不昧公)がそれまで庶民の食べものだったそばを茶懐石の中で用いるようになり、ハレの日の食べ物となった。その頃の江戸では身分の低い者しか口にしなかったということを考えると、むしろこの松江は江戸を凌ぐ、そば文化を誇る街だといえる。
また、7代松平治郷(不昧公)がそれまで庶民の食べものだったそばを茶懐石の中で用いるようになり、ハレの日の食べ物となった。その頃の江戸では身分の低い者しか口にしなかったということを考えると、むしろこの松江は江戸を凌ぐ、そば文化を誇る街だといえる。
中でもこの『神代そば』はこの地で圧倒的に支持されている一軒だ。四の五の言わずに食べてみればわかることだが、そばを口にする直前の香り、口に入れたときのテクスチャー、啜らずにしっかりと噛んだときのコシと味の奥行きが巷のそばのレベルとは違うものだ。 そもそも出雲そばとは、良質の蕎麦の産地である奥出雲地方、出雲大社参詣客によりその名が全国に広まった出雲大社周辺、不昧公によりそば切りが文化として醸成された城下町松江を含めた出雲地方のそばのこと。厳密には、出雲の中でも家々によって作り方が違うというくらいバラエティに富んだそばの総称だ。